民藝運動は柳宗悦を中心に、陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎、バーナード・リーチ、棟方志功、芹沢銈介、池田三四郎など、多くの著名人が参加しておこなわれました。いずれも民芸品を愛し、柳宗悦の志に賛同していた人々です。
*「和楽」より抜粋
柳宗悦
東京帝国大学後に朝鮮半島へ行き、朝鮮の民衆雑器の多種多様な工藝に感銘を受け帰国後、 木喰像に心惹かれ日本各地を訪ね歩き旅するうちに地方色豊かな工芸品や工芸文化があることを知ります。
1926年に民藝運動を発足すると、当時主流だった華美な装飾を施した観賞用の作品を評価するのではなく、柳宗悦は「日々の生活に美の喜びが伴わなければ、 美はますます我々から遠のいてしまう」と説き、「用の美」を提唱。 各地の民藝品を蒐集しながら、1936年に民藝運動の同志達と日本民藝館を開設し、初代館長を務めました。
河井寛次郎
柳宗悦らと共に「日本民芸美術館設立趣意書」を発表し、「民藝運動」に深く関わった人物です。日本の陶芸家で陶芸の他にも彫刻、書、随筆など幅広い分野で様々な作品を残しています。
工業学校時代には一万種類以上の釉薬や東洋古陶磁の技法について研究を行い、 1920年に都市五条坂に「鐘渓窯」と名付けた工房と住居を構えました。東洋古陶磁の技法と作風の華やかな陶磁で、新人ながら名人と脚光を浴びています。
それ以降では、中国古陶磁から日本民窯のモチーフを取り入れ、「用の美」を意識したものを生み出していくようになりました。
投稿者:よしはら | 日時:2017年2月28日 15:03
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『ひより』のコンセプトとなった「民藝運動の"用の美"」とは、どのようなものなのか?
まずは"民藝"というものについてご紹介します。
民藝とは「民衆的工芸」を略した造語であり、柳宗悦や彼と同じ思想を持った陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らによってつくられた言葉です。
彼らは、1926年に「日本民藝美術館設立趣意書」を発刊したのに伴い民藝運動(生活文化運動)をスタートさせました。その活動内容は、『伝統的な「用の美」をもった民藝品の蒐集』『伝統的な作品の手仕事による技術の復興』『時代に即した新しいものづくりを推進し、 指導者となる個人作家の支援』などです。
*「民藝」200年12月号、2015年7月号、2016年9月号より
では、具体的に民藝とはどんな作品を言うのでしょうか?
民藝運動の中心人物である柳宗悦が定義した民藝とは、当時の工芸文化として一般的であった「華美な装飾を施した観賞用の作品」ではなく、名も無き職人の手から生み出された「一般の民衆が必要とする作品」。毎日使うような日用品にこそ美が必要だと考えたのです。すなわち、これが"用の美"と呼ばれるもの。
また、柳宗悦は民藝の特性を「実用性、無銘性、複数性、廉価性、労働性、地方性、分業性、伝統性、他力性」という言葉で表現しています。
民藝運動によってつくりだされた多くの作品は、柳宗悦が初代館長を務めた『日本民藝館』や各地の民藝館・美術館に保管・展示されています。特に日本民藝館では、柳宗悦が選んだ陶磁器・染織品・木漆工品・絵画など、日本をはじめとした諸外国の新古の民藝品が約1万7千点ほど収蔵されており、より民藝を実感できる場所といえるでしょう。
投稿者:よしはら | 日時:2017年2月28日 13:36
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此の度竣工しました「ひより」は、 「賃貸住宅とは、誰もが一度は経験する"住まい"という名の商品である。」 というアマヤの理念の基につくられました。
学生から大人になり、そして社会人になって結婚し、子供が出来て家庭人となる。 そんな人生を送るであろう人々がひと時を過ごす"住まい=賃貸住宅"が思い出として... "記憶の情景"として残せたら良いな、との願いでつくらさせていただきました。
土草色の左官仕上げの外壁、杉板の塀や縦格子の外観は、 中原街道と子母口街道の辻に立つ旅籠旅館の風情をイメージしました。
建物名は、高田の郷、南傾斜の高台で日当りも良く暖かでホクホクした心持になれる、 そんな立地にあるので大和言葉の"ひより(日和)"と命名しました。 デザインコンセプトは民藝運動の"用の美"をテーマとし、 インテリアカラーは日本の伝統色でまとめました。
通いよし、眺めよし、暮らしよし。
三方よしのひより坂を、歩いて暮らしてみてはいかがですか。
投稿者:よしはら | 日時:2017年2月22日 16:23
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